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親子の価値観は似ているのが当たり前?価値観研究から考える

親子の価値観は似ているのが当たり前?価値観研究から考える

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1tonariメディア編集部

人はだれでも自分だけの「価値観」を持っています。とはいえ、ゼロから新しい価値観を見つけ出していくわけではなく、周囲の人々の価値観に触れる中で影響を受けながら、徐々に自分だけの価値観が築かれていきます。

価値観は生まれ育った環境のなかで形成されていくものなので、同じ集団のなかで共通性があると言われています。例えば、「日本文化」と「アメリカ文化」を比べて、「日本は集団主義、アメリカは個人主義」などと言われたりします。実際に、文化によって価値観は大きく異なっており、公平/不公平、損得や美醜の評価、ときには善悪の評価すらも異なる場合があります。

「正義の反対は、また別の正義だ」という表現にも、(ある程度は)説得力があります。

国レベルで共有されている価値観もあれば、より狭く特定の地域やコミュニティのなかでだけ共有されている価値観もあります。そのため、同じ「文化圏」に育った人のなかでも、価値観には幅があります。

こうした観点から考えると、最小単位の集団である家族の間は最も価値観が近い存在だと言えそうです。

しかしながら、ほとんどの人は「親と考え方が合わない」という経験をしたことがある通り、家族だからと言って常に同じような価値観を持っているわけではありません。

では、親子の価値観は実際に似通っているのでしょうか?今回は親子間の価値観研究を参考にしながら、このテーマについて深堀していきます。

またより重要な点としては、そもそも「価値観研究」は私たちに何を教えてくれるのかという疑問が挙げられます。「親子の価値観の類似性」の議論を通じて、この点についても一緒に考えていきましょう。

親子の価値観の類似性に関しては、こちらの記事も参照してください。

そもそも「価値観」とはなにか?なぜ研究されるのか?

価値観という言葉は、日常的にも様々な場面で用いられます。そのため、意味合いも多様であり、漠然とした幅広い概念です。例えば、辞書の語釈を見てみると次のように説明されています。

  • 個人もしくは集団が世界の中の事象に対して下す価値判断の総体(広辞苑 第5版)
  • 物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断(デジタル大辞泉)
  • 人が自分を含めた世界や、その中の万物に対してもつ評価の根本的態度、見方。

これらの語釈を見ると、人を取り巻くあらゆる物事に対する考え方、感じ方、好みなどをすべてまとめて「価値観」と表現していると言えそうです。自分の価値観を考える際は、中でも自分の軸となる「譲れない価値観」を考えていく必要があります。

突き詰めてしまえば、「価値観は人それぞれ異なる」という結論に達することは明らかであるにもかかわらず、価値観研究が盛んにおこなわれている理由の1つには、価値観が「集団の人間関係を調整する役割」を担っていることが挙げられます。

集団で共有された価値観は、常識や教えとして人々の生活の中に根差しており、その集団の生活スタイルや生活習慣、人間関係などを規定する重要な要素になります。そのため、人々の価値観がどのように形成されているのか、集団ごとにどのような特徴があるのかなどを研究することは、集団間の価値観の違いに基づくコンフリクトを回避し、円滑な関係構築を可能にする重要な役割を担っています。

集団で共有された価値観の違いの「集団」ってなに?

例えば、個人主義が根強いと言われるアメリカでは、自分の意見を明確に主張できることが大切な能力の一つとされています。そのため、周りを顔色をうかがって曖昧な返事ばかりをしていると、社会的な信用を失ってしまうことにもなりかねません、一方で、日本では自分の意見をストレートに表現しすぎると「自己中心的だ」と批判され、周囲の反応を見ながら行動できることが美徳とされます。

もちろん、集団内で共有された価値観とは、「アメリカ文化」や「日本文化」のように国の単位で明確に線引きができるものではありません。県民性という言葉がある通り、地域によっても大きな違いがあります。京都と大阪では、好まれるコミュニケーション方法が異なるというのはよく知られた話です。

さらに深堀りしていけば、県の中でも地域性が見られます。その地域の地理や主な産業、人口、人の流動性、地域的なコミュニティの強さなど様々な要因が複雑に絡み合った結果、様々な集団の中で共有された価値観が作られていきます。

また、「集団」が形成されるのは地理的に近い距離に生まれ育った人々だけとは限りません。職場には職場の、学校には学校の、サークルにはサークルの中での価値観が形成されていきます。

例えば、出張のたびに職場にお土産を買っていく企業文化が根付いているのに、手ぶらで出社してしまうと「ケチな人」と思われてしまうでしょう。一方で、こうしたやり取りが全くない職場なのにもかかわらず、毎回のようにお土産を渡していたら「何か下心があるのか?」と警戒される可能性もあります。

これは「お土産を渡す」という行為に対して、どのような価値を認めるか(評価をするか)という軸が、長年の職場での慣習のなかで形成されているためです。

前述の通り、家族は「最小の社会集団」だと言われています。つまり、家族のなかにも当然のように共有された価値観があるのです。むしろ、ほとんどの場合、人は家族の中で最初に基盤となる価値観を学び、それを友達や先生など多くの人と関わる中で「自分の価値観」を作り上げていきます。

必ず親子で価値観が類似するのか?

しかし、別の記事で詳しくご紹介している通り、心理学の研究によれば、子どもは単純に親の価値観をそのまま受け継ぐわけではありません。そもそも、人が育つ過程では、「家族」以外にも「学校」「サークル」「近所の友人」など様々な集団に属するため、その中でも多くの価値観を吸収します。

「価値観」には、世代による差異も顕著に現れます。親世代が育った時と環境が大きく変わっている以上、このような差異が生じるのは避けられません。例えば、親世代から見ると「みっともない」服装や髪型が、子ども世代では「おしゃれ」ということは珍しくありません。将来の進路についての考え方にも大きな違いがあります。

服装の好み程度であれば大した問題ではないかもしれませんが、勉強や仕事、友人や恋人との付き合い方、将来設計など、人生の中でも重要なテーマに関して大きな価値観の差異がある場合には、家庭内不和の原因になる場合もあります。

興味深いことに親子の価値観の類似性を調べた研究によると、子どもの価値観は「現実の親の価値観」よりも、「子が認知した親の価値観」に強い影響を受けます(例外的に「情緒安定性」については、「現実の母親」と類似しています)。

そのため、必ずしも親子だからといって「現実の価値観」が類似しているとは限らないのです。

ただし、ある研究では、親子の「親和性」が高い場合は、「現実の親の価値観」との類似性も高くなるという相関関係があるという結果も出ています。

単純に考えれば、親子の関係が良好で親和性が高い場合は必然的に「現実の親の価値観」と「子が認知した親の価値観」の齟齬が生じにくいため、親子の価値観の類似性が高くなる傾向があり、反対に親子間の親和性が低い場合は、この2つにギャップが生じるため(特に親から見ると)親子の価値観の差異が際立ってくる可能性が高いと言えそうです。

人の心の動きは複雑なので、あまり単純化することはできませんが、多くの親が一度は直面するであろう「なぜ私たちのこともなのに○○なんだろう?」という疑問の答えは、もしかすると「子どもから親がそのように見えているため」という場合もあるということです。

また、親子の親和性を高める要因としては、大雑把に言えば、「父母が非利己主義的であり、かつ情緒安定的であること」、「子どもが父母を理念主義的、非利己主義的、情緒安定的であると認知していること」の二つの要素が抽出されています。

価値観研究をどのように生かせるか?

わざわざ「当たり前」を証明している?

すでに述べた通り、心理学を中心に人々の価値観について探求する研究は盛んにおこなわれています。とはいえ、様々な要因が複雑に絡み合って形成される「価値観」を解き明かす魔法の数式は存在せず、あくまでも傾向を示すことしかできません。

このような限界に加えて、読者のなかには、親子の価値観の類似性に関する記述を読んで、「当たり前じゃないか」という感想を持った人もいるでしょう。緻密な実験の結果明らかになったのは、以下のような結論です。

① 現実の親の価値観ではなく、子どもの認知した親の価値観の影響が大きい

② 親子間の親和性が高いほど、現実の親の価値観からの影響が強くなる

③ 親子の親和性を高めるのは、親の情緒安定性と非利己主義であり、かつ子どもがこれを認知していることが重要

これらを簡単に言ってしまえば、以下のように言い換えることもできます。

①’ 実際に親がどういう人かではなく、子どもの目からみた親の姿が重要

②’ 親子関係が良好だと、親の価値観をダイレクトに受け入れやすい

③’ 親がどっしり構えて子ども(を含む他者)のために行動していると、子どもとの関係が良好になりやすい

このように言ってしまうと、「そりゃそうだよね」という感想を持つ人がいても不思議ではありません。

実際に、「価値観研究」は誰もが想像もしていなかった人間の神秘を解き明かすようなものではありません。多くの研究成果は、誰もが経験の中で漠然と知っているような事柄を、科学的に立証するものです。では、この「当たり前」を知ることはどのように役立つのでしょうか?

漠然とした感覚知を、科学的にはっきりさせる意義とは?

大前提として、未来も含めて人類全体のことを考えれば、世界のことが少しでも解き明かされること自体に非常に重要な価値があります。科学者からすれば「漠然とした感覚知が実験で裏付けられた」ということそのものに価値があるのです。

とはいえ、心理学の専門家以外からみれば、「それでその知識は何に役立つの?」という気持ちになるのも無理はありません。では、こうした知見を私たちはどのように役立てることができるでしょうか?

例えば、今回ご紹介した親子の価値観の類似性に関する研究は、以下のようなことを教えてくれます。

子どもが自分の価値観を考える場合

  • 自分の価値観を知るためには、現実の親の価値観を正確に知ることよりも「自分がどのように親の価値観を認知していたか?」ということを知ることが重要である。
  • どれだけ親との関係性が悪く(親和性が低く)とも、生育過程で形成される「価値観」には必然的に親の価値観(と自分が認知したもの)の影響を受けている。

親が自分の子どもの価値観を考える場合

  • 子どもの価値観を知るためには、自分が何を、どのように教えたかや、どのように接してきたかよりも、それらを子どもがどのように認識していたかを知らなければならない。
  • 子どもとの価値観の相違は当然のことであり、家族だからと言って同じ価値観を共有していると仮定して接することはできない。

こうしたポイントは、当たり前でありながら、生活の中で多くの人が忘れてしまっているものです。

もし一度でも「なぜ親なのにわかってくれないんだ?」、「自分の子どもなんだから、○○して当然だ」と思ってしまったことがある人は、この「当たり前」を見失ってしまった経験があると言えます。

「価値観研究」はこうした見失ってしまいがちな「当たり前」を、徹底的なまでに科学的な方法で私たちに突き付けるものです。

また、人の価値観の複雑さを示すこれらの研究を知ることで、私たちは「理解したつもりになっている自分の価値観を、本当は曖昧にしかわかっていないこと」にも気が付くことができるでしょう。

加えて、集団によって異なる「常識」を知ることは、相対的に自分自身の価値観を知ることにも役立ちます。

このように、一見すると「当たり前に知っている」ことのように思われる価値観について掘り下げる研究は、私たちの生活にも役立つものなのです。

ちまたにあふれる怪しげな心理学には注意しつつも、自分の生活を豊かにし得るものとして有効に活用してください。


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