「好きな人と結婚するのが最大の幸せ」という価値観は、恋愛結婚至上主義が広めた一つのイデオロギーです。本記事では、恋愛結婚の背景とその限界を紐解き、自分らしい結婚観を見つけるヒントを探ります。
「好きな相手と結婚したい」。「いつまでも恋人みたいな関係の夫婦でいたい」。
このような憧れを抱く人は少なくないでしょう。
学校や職場、趣味のサークルなどを通じて出会った二人が、お互いに惹かれあい、徐々に距離を縮めて、やがて想いを告げて交際を開始。その後、数年間の交際期間を経てついに結婚。
このような偶然の出会いから自然な形で交際に発展し、結婚に至るという流れは、理想的な結婚のシナリオとして広く認識されています。ドラマチックな物語が展開される恋愛映画や漫画も、この「出会い→交際→結婚」という王道のストーリーラインの上に成り立っています。
大手婚活サイトが「本物の恋が見つかる」「本当に好きになれる相手と出会える」ことを謳っていることからも、多くの人が結婚を恋愛の延長線上に位置づけていることがわかります。
その反動なのか、結婚相談所、合コンや街コン、マッチングアプリなどを通じた出会いは、いまだに「何だか胸を張れない…」という空気感が漂っています。
もちろん、出会いのきっかけはなんであれ、お互いが望んで結婚を決めたのであれば、恥じることは少しもありません。しかし、ネットを覗いてみると、「結婚相談所の紹介で知り合ったことを内緒にしたい」「マッチングアプリで出会ったとは言いにくい…」という悩みが、匿名の世界の中で溢れかえっているのです。
これは、まさに「恋愛結婚至上主義」と呼ぶべき価値観が日本中に浸透していることを表しています。
しかし、この「日常生活のなかで自然と好きになった相手と結婚するのが最大の幸せ」という価値観は果たして真実なのでしょうか。
結論を少し先取りすると、実は恋愛結婚とは数ある結婚の形の一つに過ぎません。恋愛結婚至上主義にとらわれることなく、もっと自由に自分らしい出会いを探すことで幸せになる人も少なくないはずです。
今回は、社会学やジェンダー論の文献をもとに、「理想的な恋愛」や「理想的な結婚」について考えていきます。「結婚したいけど、恋人もいないし…」と悩んでいる方はぜひご一読ください。
目次
「恋愛結婚至上主義」の誕生
現在の結婚の王道はなんといっても「恋愛結婚」。結婚式で紹介される「新郎新婦の馴れ初め」では、必ずと言っていいほど、「運命的に出会った二人が、自然と惹かれあい、交際期間を通じて愛を育み、ついに家族になることを決めた」というストーリーが語られます。
しかし、恋愛結婚が当たり前のものになったのは、実はそこまで昔の話ではありません。
2024年に大ヒットしたNHK連続テレビ小説「虎に翼」では、主人公の寅子を含めて、多くの登場人物がお見合いをして結婚相手を探しています。いわゆる「結婚適齢期」に差し掛かると、親を含めてお見合いをして相手を決めていくことが一般的な様子が伺えます。
現代ではほとんど耳にすることがない「お見合い結婚」ですが、実はつい数十年前までは最もありふれた結婚相手の見つけ方でした。
戦前、戦中は文字通り当たり前だったお見合い結婚は、戦後もその地位を維持していました。恋愛結婚との割合が逆転したのは1960年代後半にはいってからのことです。その後は、恋愛結婚の増加に伴って、お見合い結婚の割合は減少していくものの、それでも1990年ごろまでは約2割程度を占めていました。
つまり、今の日本で後期高齢者と呼ばれる70~80代あたりが日本における「恋愛結婚第一世代」なのです。現在、いわゆる結婚適齢期に差し掛かっている20代後半~30代は第三、第四世代にあたると言えるでしょう。
現在は「当たり前」である恋愛結婚ですが、この形の結婚を理想とする考え方はいわば「新しい価値観」なのです。
日本において、恋愛結婚が主流化した時代は高度経済成長期(1955~1973年ごろ)とぴったりと重なっています。この時期に浸透したのが、「ロマンチックラブ・イデオロギー」とよばれる考え方です。
学術的には「恋愛と性愛と生殖が結婚を媒介とすることで一体化された概念」と説明されますが、「運命の相手と出会って恋をして結婚し、その相手と子どもを作って、一緒に年を取ることが理想の結婚だという考える方」と言い換えることができるでしょう。
現在は、さらに結婚観が多様化しており、必ずしもこの考え方に当てはまらない価値観の人も増えているものの、「好きな人と結婚すること」を理想とする恋愛結婚至上主義は根強く残っています。
ロマンティックラブ・イデオロギーとは?
今回のテーマである「好きな人と結婚するのが最大の幸せなのか?」を考えるために、まずはロマンティックラブ・イデオロギーの概念についてもう少し深堀りしていきます。
ロマンティックラブ・イデオロギーの浸透は、「親が決めた相手と結婚する」ことが当たり前だった時代から、「自分たちで結婚相手を選ぶ」ことが当たり前の時代への変化と言えます。
もちろん、それ以前の日本にも恋愛結婚が全くなかったわけではありませんが、それまではやはり二人の意志だけで自由に結婚できるような状況ではありませんでした。
明治時代の民法では「家父長制家族主義」の考え方に沿って、結婚すると女性が男性側の家に入ることが前提になっていました。つまり、結婚とは当事者二人の問題ではなく、家と家の問題だったのです。
現在でも、「お父さん、娘さんを僕にください」という定番のフレーズなど、家父長制の名残ともいえる慣習が残ってはいるものの、当時とは全く様相が異なっています。
結婚の挨拶はあくまでも儀礼的なイベントであり、挨拶に行く前に二人の中では結婚することが決まっていることがほとんどです。現代の日本で「父親に認めてもらえずに結婚できなかった」というカップルは、よほど例外的なケースを除きほとんどいないでしょう。
このようにロマンチックラブイデオロギーの時代とは、個人の権利が広く認められる自由な時代の到来によってもたらされたのです。
親や家に縛られることなく、本人たちが自由に生涯を共にするパートナーを選べるようになったことは、現代の価値観からすれば間違いなくポジティブな変化です。
その変化の中で、自由を手に入れた若者たちが「自分が好きな相手と結婚をしたい」と強く思った結果、「恋愛結婚こそが正義」という価値観が生まれてきたのです。
(※ただし、ここでは詳しく取り上げませんが、このロマンティックラブ・イデオロギーが広まった背景は必ずしも「自由を手にした若者たちの選択の結果」とロマンティックラブ・イデオロギーだけは言えない点には注意が必要です。社会学やジェンダー論、フェミニズムの視点からは、ロマンチックラブ・イデオロギーに対する批判的な分析も行われています)
現代は「ロマンチック・マリッジ・イデオロギー」?
ロマンティックラブ・イデオロギーが興隆した1950年代~70年代にかけては、いわゆる「純潔」が神聖視されていた時代でもありました。結婚前に性的な関係を持つことはタブー視されており、特に女性に対してはその傾向が顕著でした。
「嫁入り前の娘をキズモノにされた」などという表現からもわかる通り、性行為とは結婚した相手との間でしか許されない行為であったのです。その裏返しに、ひとたび結婚をすると、夫婦は子どもを作る目的で性行為をすることが自明視されていました。
これこそが、先ほど紹介した通り、ロマンチックラブイデオロギーが「恋愛と性愛と生殖が結婚を媒介とすることで一体化された概念」と定義されている所以です。
つまり、結婚した相手こそが、唯一無二の愛する相手(恋愛)であり、だからこそ性行為を行い(性愛)、当然の結果として子どもが誕生する(生殖)と考えられていたわけです。
この考えは、今でも「結婚の理想像」として漠然と社会の中に残っているかもしれませんが、とはいえやや古臭い印象を受ける人が多いでしょう。
例えば、「初恋の人と結婚」などはいまだに恋愛漫画やドラマの王道ですが、「結婚前提の相手と以外は絶対に付き合わない」と宣言して、実際にそれを貫いている人は現代ではほとんどいないでしょう。
また、未だに「おたくは子どもはまだなの?」などという不躾な質問をする人はいるとはいえ、選択的に子どもを持たない夫婦の存在もすっかり当たり前になっています。
言い換えれば、結婚と結びつかない「恋愛」や「性愛」、あるいは結婚をしても「生殖」をしない生き方も広く認められる時代になっているのです。
そのため、多様性の時代の到来とともに、ロマンティックラブ・イデオロギーは徐々にその支配的な地位を失っていきました。
しかし、依然として「理想的な結婚=恋愛結婚」という価値観は根強く残っています。現代は、この「ロマンティックラブ・マリッジ・イデオロギー」が隅々まで浸透している時代なのです。
恋愛結婚至上主義の時代の困難
さて、これまで見てきた通り、日本では戦後になって初めて自由に結婚相手を選べる時代がやってきました。時代とともに、それが当たり前になっていき、いつしか「恋愛結婚」が当たり前の結婚のあり方として認識されるようになりました。
そこから、さらに時は進み、現在は「結婚するかどうかも選べる時代」に突入してきたといえるでしょう。
未だに男女の賃金格差はあるものの、女性が仕事で活躍する機会は確実に広がってきています。また、完全になくなったわけではありませんが、「結婚をしないと一人前になれない」というような古い考え方は淘汰されてきています。働く現役世代にとって、結婚とは人生の選択肢の一つでしかありません。
誰にも結婚を強制されず、相手だけでなく結婚するかも含めて自分で選べることは素晴らしいことでしょう。ただし、その一方で、お見合い結婚の時代に比べて、結婚までのステップは格段に複雑になりました。
- 「お見合い」→「結婚」
- 「出会い」→「交際」→「結婚」
以前にもご紹介した通り、実は未婚化・晩婚化の進行が社会問題になっている今日においても、「いつかは結婚するつもり」「いつか結婚したい」という人の割合はほとんど変化していません。
「結婚をしたいけれどしない/できない」人が増加している背景には、この「交際」のステップに進むことができない人の割合の増加があります。未婚者に占める交際相手がいない割合は2000年代中ごろから急増しており、18~34歳を対象にした調査では、2015年時点ですでに未婚男性の69.8%、未婚女性の59.1%に恋人がいませんでした。この割合は現在ではさらに深刻化していると考えられます。
「自分の望んだ相手と結婚できる」ということは、裏を返せば、親や親戚が条件にあった相手を探してくる時代は終わり、結婚をするためには自分自身で相手を見つけるしかない時代に突入したことを意味します。
その結果、いわゆる「恋愛市場」に適した特性をもつ一部の人が学生時代から交際経験を重ねていき、そのなかから結婚相手を見つけていく一方で、「恋愛弱者」とよばれるような人たちはなかなか交際にまでいたらず、結果的に結婚できない状況があるのです。
ロマンティックマリッジ・イデオロギーからの脱却?
これまで見てきた通り、古い家父長制に基づく家制度が廃止され、自分が望んだ相手と結婚できるようになりました。さらに時は進み、現代では夫婦や家族のあり方も多様化しており、特定の家族観に縛られずに自分らしい選択をできる時代になってきています。
その一方で、「恋愛結婚至上主義」が一種の呪いのように、結婚したくてもできない人を苦しめていることもあるのです。
その状況を踏まえて、今回のテーマである「好きな人と結婚するのが最大の幸せなのか?」ということを考えてみましょう。言い換えれば、「本当に恋愛結婚が理想的なのか?」という問いです。
少し考えてみると、ロマンティックマリッジ・イデオロギーが栄華を極めるなか、それに反するような教えも世の中にあふれています。
例えば「恋愛と結婚は別物」という言葉は、多くの結婚経験者が繰り返し述べていることです。未婚者であってもこうした考え方の影響を受けており、結婚を意識し始めた人の中には「好きだけど、結婚は考えられない」などという理由で関係を終わらせる人も少なくありません。
つまり、恋愛結婚至上主義の時代ではあるものの、「恋をしている相手」というだけで「結婚相手としての条件を満たすわけではないのです。
当然ながら、結婚相手と一緒に暮らしていくなかでは、一般的な恋人関係とは大きく異なる様々な経験を共有していくことになります。恋愛結婚であれ、お見合い結婚であれ、「どんな家庭を築きたいのか」という考えが全く異なる二人が、長く生活を共にしていくことはほとんど不可能です。
むしろ長期的な意味で「幸せな結婚」をするために大切なのは、ドラマチックな恋愛を経て結婚したかではなく、良好な結婚生活を維持できる関係性を築けるか否かなのです。
まとめ:恋愛結婚だけに縛られない自由な婚活を!
恋愛結婚至上主義の時代。そのなかで「恋愛ができないから結婚できない」と苦しんでいる未婚者は実は少なくありません。
確かに、映画やドラマで目にするロマンチックな恋愛結婚は魅力的です。しかし、結婚という一時のイベントを終えた後に待ち受ける数十年にわたる「結婚生活」を考えた場合、恋愛結婚は「幸せになるための条件」ではありません。
ロマンチックラブ・イデオロギー、あるいはロマンチックマリッジ・イデオロギーという言葉が示す通り、「恋愛結婚が理想的だ」というのはあくまでも現代で主流な一つの「考え方」や「思想」でしかないのです。
イデオロギーの一つでしかないのですから、恋愛が苦手であるひとがわざわざこの考え方に縛られる必要は全くありません。むしろ「結婚生活」に焦点をあてて、自分が結婚に何を望んでいるのかを明確化したうえで、お互いの気持ちが合う相手を探す方がよほど建設的なのです。
今は、結婚をするかどうかも自由な時代です。特定の結婚の在り方にとらわれずに、自分がした結婚にとことん向き合って、自分にあった方法で婚活をすることももちろん自由です。
「結婚したいけど恋愛ができない…」と悩んで一歩を踏み出せないことほどもったいないことはありません。恋愛結婚主義を捨て去り、本当の自分にとっての幸せを考えてみてください。